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「萌え」という言葉は我々にとって福音か

メモ

 つまり「萌え」とは、普段押さえつけられているフェチシズムや、禁忌への愛欲をライトに肯定する言葉だったのだ。そう考えることは出来ないか。


 日本人は元来、性にはオープンな民族だったと言われてはいるが、しかしそれでも社会が発達するに連れ、そのシステムを管理する側は、大衆の欲望を制御することで秩序を保ってきた。あの浮世絵文化が花開いた太平の江戸時代だって、お上は表現の取り締まりに躍起になっていた。だから、明治以降のキリスト教下の外国文化の流入によって日本人は抑圧されていったと考えるのは尚早だ。システムの転換期はいくつかあるにせよ、常に体制側は人の欲望を制御することで秩序を保とうとする。


 しかし「萌え」という言葉の響きは、今までネガティブなイメージで「押さえつけなければならない」とされていた欲望を、ライトに肯定してはいないだろうか。かといってそれがヒッピーのように即「フリーセックス→性の解放」に直結しているわけではなく、社会との折り合いのなかで出現する性意識を肯定しているのではないかと。


 人の本性(自然)とはカオスであり、それを制御するために神の方を遵守して生きるというのは一神教的な思想だ。日本人が市場経済による国家の運営を続ける以上、システムは常に、人の欲望を制御する方向に動いてゆく。しかもすべてをひっくり返す革命が起きる予兆など来そうもない。ならば私たちは、自分を律するために、法と道徳、倫理を守り生きてゆく他道はないというわけだ。たとえ明日に停滞しかなくとも。


 だが「萌え」という言葉には、その停滞をゆっくりとゆすり上げる力があるのではないか。そして「萌え」とは、多神教による、一神教へのひとつの反動ではないだろうかと、そう思うのだ。




投稿:松本
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